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1968年8月、ソ連で貿易の仕事をしている千畝が一時帰国している時に、イスラエル大使館から電話がありました。その日のうちに大使館を訪ねると、参事官が一枚のボロボロの紙を差し出して、訊ねました。
「これを覚えていますか?」
その手には、28年前にカウナスで発行したビザが乗せられていました。「私はあの時領事館であなたと交渉した5人のうちの一人、ニシュリです」
千畝の脳裏に、カウナス最後の日の情景がありありとよみがえってきました。
ベルリンに向かう列車を待つホームでもなお、ビザを求めておしよせるユダヤ人たちを前に一人でも多くの命を救おうとビザを書き続けたあの日のことが。
列車がゆっくりと動きだした時、ユダヤ人たちは「ありがとう、スギハラァ!」「私たちはあなたを忘れない。もう一度あなたに会いにいきます」と口々に叫んでいました。
あの日の約束を守りユダヤ人は28年もの永い年月、千畝を探し続けやっと再会したのです。
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| イスラエル政府より送られたダイヤモンド入りメダル |
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| イスラエルで29年ぶりに再会したバルハフティック大臣 1969年 |
翌1969年、千畝は、イスラエルに招かれました。イスラエルで千畝を迎えたのは、ニシュリ氏と共に千畝と話し合った5人のうちの1人、宗教大臣のバルハフティック氏でした。2人は堅く握手を交わし、生きて再会できたことを喜びあいました。
バルハフティック氏はこの日初めて、千畝が外務省の回訓に背きビザを発給したことを知り、とても驚きました。日本政府が自分たちを救ってくれたと思っていたのです。
千畝はヤド・バシェム(追悼記念館)に案内され、宗教大臣バルハフティック氏から勲章を受けました。
千畝が案内されたヤド・バシェムはナチスに殺害されたユダヤ人とユダヤ人を救った異邦人を称える記念館です。「記憶せよ、忘るるなかれ」と刻まれているこの記念館には、千畝に関する資料も多数収められています。
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ヤド・バシェム賞(諸国民の中の正義の人賞)
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1985年1月18日、イスラエル政府からヤド・バシェム賞(諸国民の中の正義の人賞)が送られました。この賞はイスラエル国政府がユダヤ建国に尽くした外国人に与える勲章で、日本人として初めての受賞です。英雄として扱われることを潔しとしなかった千畝でしたが、今までの苦労が報われたような気がしたのではないでしょうか。
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